みなさま、お元気でしょうか?
今日は予てからやるやる詐欺状態だった竹細工教室の詳細を発表したいと考えています。
場所は京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺という地区にあります古民家です。詳しい場所は公開は出来ないのでお許しください。交通手段は車一択でしょう。Googleで禅定寺地区がどのあたりにあるか調べてみてご検討ください。
先ずは入会希望者に向けて説明会のようなものを開こうかなと考えています。2025年5/13㈫。教室の稼働は2025年6月を予定しております。
以下、概要を張ります。よくよく読んでください。絶対です。趣旨にご賛同くださった方のみ説明会にもお越しください。私と持論があまりにも違い、ケンカしそうなら来ないでください笑
お申し込みはInstagramで告知をしてGoogleフォームを作ろうかと考えています。開始日時は未定です。定員は最大20名なので、余裕かなと思います。ご興味があればご参加ください。
古民家竹細工教室
~あうん・竹細工教室だけではない「生き方」を問う場所となるように~
この度は岡悠の竹細工教室にご興味をお持ちくださりありがとうございます。私がなぜこの竹細工教室を開催しようと思ったかの経緯をお話ししたいと思います。
先ずはあうんという言葉。広辞苑によれば、阿吽とは「阿」は開声、「吽」は合声。悉曇(しつたん)の字母の初韻と終韻。①最初と最後②寺院山門の仁王や狛犬などの相、一は口を開き一は口を閉じる。③呼気と吸気 とあります。タケとヒトの性質は、このあうんと似ていると書物で読み名前につけました。この教室全体を通して目標にしたい姿と思ってくだされば幸いです。
私はユウノ竹工房という屋号で2014年から10年活動してきました。今年2025年は11年目の年となります。最初はHPを作りECサイトのようなものを目指したのですが、なかなか生業と呼べるほどのことにはならず、目に留めてくれた方に細々と作り続ける日々でした。
末の娘が生まれた2017年の展示会をきっかけに開催のお店のお陰でたくさんの方の目に触れるようになったのだと実感しています。今は定番商品となった茶漉しもこの時の展示会で初お披露目となりました。
昨年2024年に新規のいかなるご注文も受け付けないことといたしました。今は最終のご注文の方は2035年だったと記憶しています。2019年頃から注文問い合わせが劇的に増え、自分の作ったものを求めてくれる方がこんなにたくさんいることに多大なる感謝を感じる毎日を過ごし製作に心血を注いでいました。もちろんこれは私が竹細工を始めた頃に夢見ていたことで、「竹細工が生業となり仕事に追われる」という状況そのものです。子供たちは日々大きくなっていきますが、どうにも仕事と家庭のバランスが悪い。「お母さんはこんなにやっているんだよ!」と朝から晩まで子供たちを保育園に放り込みました(言葉は悪いのですが、当時の私の状況を表すにはぴったりの言葉です)。
そこに2020年初頭のコロナ騒動がやってきました。私は子どもを、家族を守らなければとパニックに陥りました。「世の中一週間くらい止めたらいいんだよ!」と今なら顔から火が出るようなことも平然と言っていたと記憶にあります。とは言いながら、子どもたちには保育園に行って欲しいし、家にいるならおとなしくしていて欲しい、夫は心配だけど仕事には行ってもらわなきゃ困る。私は一生懸命作ってるの!となんとも矛盾に矛盾を塗り重ね、自分の頭で考えることを放棄していたのでしょう。
2021年5月我が家にコロナ騒動がやってきました。詳しくは省きますが、要は何も症状もない私たちはパニックのまま受けた検査で陽性と一人言われたことで保健所からは三週間家からでるなと言われたのです。陰性でも学校、職場に来るなと言われ、庭に出ていたら「なに子供を家から出しているんだ!」と近所から電話を受けたのです。今から思えば検査を受けない選択肢もあったのでしょう。ですが何も考えていなかった私は流されるまま従ってしまった。ですが、健康な人間を休ませることに疑問があった私は検査対象ではない別の子どもは学校へ行かせていました。普通に生活していて構わないと言われていたからです。家族が陽性と知れば直前の行動をあり得ないと非難する人がいることは知っていましたが、私の周りにはそんな人は居ない、話せば解るとその時は思っていました。ですがそうではなく電話を受けたのでしょう。ご近所さんも私たちも守りたいものは同じはずなのになぜにこうも違うのか?私は不思議でたまりませんでした。私からすれば健康な人間を三週間陽にも浴びさせないことの方が狂っていると思ったものです。後日子どもが学校に行くと「お前の母さんはバカだとママが言っていた、コロナなんやろ」と同級生に言われ、一年話していない人に久々話しかけると軽蔑するような眼差しで立ち去られました。彼らの論理で言うならば、私たち家族はのたうち回り苦しんで今頃死んでなければならないはずではないでしょうか?実際は健康そのものでピンピンしていましたが。
私は、私たち家族は一体何をしたのだろう?人間が人間にそのような言葉や行動をする理由を私は知りませんでした。いえ、嘘です。先に書いたように私は世間に、子ども達に人間が人間に伝えることではないことを平然と言い、行動としてとっていたのです。これは報いだ、因果応報だ。その時は解らずとも1年経った頃には理解していました。
それからの私は様々なことについて調べました。厚生労働省が出している2020年のデータ、PCRの仕組み、マスクの効果性能、過去の差別の歴史、本当に様々なことをです。私は「怖いこわい」と言いながら恐怖に苛まれ、人間としての基本を忘れていたのです。コロナ騒動は様々なことを私に教えてくれ、考えさせてくれました。
「人間はなんのために生きているのか?」様々な人の言葉を借りるのならば「魂を今より成長させ、より良いところまで導き、その先に行くこと」です。それは私たちが生きている間には成しえないことかもしれません。宇宙からみれば私たち人間などちっぽけなチリのような存在に過ぎないのです。それでも、私たちはより良い人間を目指し、生きるのです。
ここに集まってくださったということは、みなさまにも様々なお考えがあり、その共通項として「竹細工」があるのだと思います。私はそのことは単純に嬉しく、歓迎いたします。ただ、上記のようなものを頭がおかしい、これから書くことで陰謀論者だと思うのであればどうぞお帰りください。私は私で、誰にもその考えを否定される覚えは無いし、強要されるものでもありません。当然のこととしてそれは来てくださったあなたにも当てはまります。ただしそれはあなたがご自身の頭できちんと考えたというプロセスがあってのことです。「テレビが、みんなが言っている」「政府が言っている」「あの時は仕方なかった」とおっしゃるのであれば、話はいつまでも平行線となることでしょう。
2020年からのコロナ騒動ははっきり言って茶番です。それはどうかご自身で調べてください。テレビが煽ることを真に受けて、人々は幸せになりましたか?私のような思いをした人が全国に居て、陽性だと言われて自殺した人、陽性だと言われて無理やり帝王切開で出産した人、未だに感染対策と称して病院での面会が制限されていること。クループ咳をコロナ陽性を理由に病院に受け入れられず死亡した乳幼児、交通事故で死んでも死後のPCR検査で陽性になったことでコロナ死カウントされた10代の若者。少し考えればおかしいと分かることがネットでは探せばいくらでもニュースになっています。もう終わったつもりでいるかもしれませんが、いつまでも黙っていればいまだに続く茶番対策の被害に遭うのは次はあなたとその家族かもしれません。それはコロナ対策に限りません。様々なことに黙って容認することはゆでガエルなだけでしょう。気が付いた時には戦争が始まっています。
少しずつ、本当に少しずつですが、2019年以前の日常が戻って来ています。ですが、三年もの間、風邪を、感染症を恐れて弱者を守るという誰もがうなずかざるを得ない理由で、普通に生きようとする人間の権利を奪うことが許されてきた、それは決して忘れてはならないことだと確信しています。今でも私は意味のない感染対策や健康な人のマスクには反対の声をあげ続けています。それは全てのことに繋がっています。私は日本という国が人間として殺伐とした、根本を忘れ去る世の中に向かっているように思えてならないのです。私が経験した嫌なこともなぜ長々と書くのか?それは黙っていれば誰も知らず、同じことを繰り返すことを容認することになるからです。
竹細工と私のその理念、思想は関係あるのか??私は何よりも大事なことと認識しています。どうか、みなさまの人生における理念、思想、哲学を私に、みんなに教えてください。考えたこともない!という方は是非ともこれを機会に考えてそれを人に話してください。それが、最初は小さなことでも、まわりまわりみんなの人生、未来の子ども達へと繋がるのではないでしょうか。
竹細工は一つのきっかけや掛かりに過ぎません。一つの物事を深く突き詰めて考えることが魂の成長、自身をより良い人生の場所へと導くことに繋がるのではないでしょうか。この竹細工教室がその一端を担えることを願って一先ず終わりといたします。
2025年1月 岡 悠
目指すところ
~自由な思想、製作~
この竹細工教室で私が大事にしたいことの上位に位置すること、それは「自由」です。先にも申しましたが、私は皆さまがご自分の頭でしっかりと考えたことならば私は否定しません。その礎があっての「自由」であることはどうかご理解ください。
作るものを最初の半年ほどは指定をいたしますが、基礎の技術や幾何学との関係を理解する工程とお考えください。「竹割三年、編み十年」人によっては一生と表現する方もいらっしゃいます。それほど竹という材料で籠を、思ったものを作ることがどれほど難しいかという表現なのでしょう。
ここに来られたということは、朧気ながらでも「こんなものが作りたい」「刺し六ッ目のかごが作りたい」「農作業を手作りのかごで」などの想いがあるのだと思います。どうぞ、ご自由に語って私に聞かせてください。私は白竹細工を20年しかしていませんが、その知識で出来る限りは答え、判らずなところは一緒に考えたいと思っています。最初にあるように、人生も竹細工も「あうん」なのです。一方が呼びかければもう一方が応える。是非ともご自身の人生と身体、竹細工を重ねてみてください。
最初は手探りで始まることと思います。至らない部分もあるかとは思いますが、ご遠慮はなしに困ったことは伝えてくださればと思います。人間と人間ですので、思いのすれ違いやトラブルはあるでしょう。それに良い落としどころを見つけるのは人間の持っている「言語」が大いに役立つはずです。これを生かさずに終わるのは悲しすぎます。時間がかかるかもしれません。今まで皆さまが人生で経験してきたたくさんのことからも私は学びたいのです。そういった意味では私も生徒、皆さまも先生なのでしょう。
前置きが長くなりましたが、その先についてのお話です。「目指すところ」は大きく分けて二つあります。一つは先述のような皆さまの竹細工を通しての技術の発展。二つ目は使用する竹材を通しての近隣地域の森林、竹藪環境の改善です。
使用材料の詳しい調達方法につきましては後の項にて説明いたします。
岡悠
~岡悠(おかゆう)これまでの半生の反省~
この項では私、岡悠についてのお話です。興味のあるなしに関わらずどんな人物からものを習うのか?は皆さんの知る権利かと私は考えています。
私岡悠は笠原悠という名前で1983年に北海道札幌市に生まれました。父方の祖父母と両親、姉と兄との七人家族で小学六年生まで一つの家で暮らしました。祖父は大工でしたが私がもの心着くころには毎日畑仕事をしていました。笠原の家は五代ほど前までは新潟で造り酒屋をしていたそうですが、潰れて北海道に逃げてきたと伯母が教えてくれました。彼女は新潟の先祖を巡る旅をしたそうでどこだかに笠原は前に住んでいたと記録があったそうです。
私が最初に竹細工とは思わずにモノづくりに興味を持ったのは小学二年生頃でした。当時家にあった「おしゃれ工房」という雑誌に新聞の折り込みチラシで編むゴミ箱というページがあり、私は食い入るように読みふけり、毎日チラシを丸めて細長い棒状にしていきました。今から考えれば菊底編みのようなものだったと思うのですが、それを写真を頼りに編み進めていったつもりでした。結果はもちろん団子状の元チラシの塊に終わり、通りかかった祖父には「そったら中途半端なことするな(北海道弁口癖)」と言われました。
最初のクラフトは失敗に終わりましたが、その時感じたことは一見するとゴミとして捨てられたり違う用途で終わるものから役に立つ(ゴミ箱)ものができるなんてなんてすごいことなんだ!ということです。我が家は他と比べても裕福だったわけではないので、最新のものが家にあることは滅多にありませんでした。代わりに大工だった祖父がたくさんのものを作ってくれた記憶があります。木で出来た竹馬(言葉の矛盾は置いておいて)、スキー板と木で出来たそり、置いてある何かしらのものは大抵祖父が作ったものでした。札幌の前は北海道のド田舎、今はもう無い町で過酷に暮らしていたそうなのでそれが当たり前だったのでしょう。
幼いながらも感じたその気概のようなものが今の私を作っているような思いはあります。「もったいない」とは違うのです。もちろんもったいないのですが、きっと私も祖父も「生きる」ことと何かを「作る」ことの源は一緒だという無意識からの行動なのではないかと今なら思うのです。
小学六年生からは祖父母とは別れて暮らし、さらに生活が厳しくなったことを覚えています。両親は常に家におらず、私はどんどんだらけた生活を送るようになりました。今から考えると食事や自然に対する環境は祖父母と暮らしていた時の方が充実し毎日無意識に学んでいたのでしょう。季節の野菜は常にたくさんあり、庭には色とりどりの果物が採りきれないほどに実っている。祖父と祖母は毎年たくさんの漬物を漬けていました。朝は毎日お仏壇にご飯をお供えする、お正月はお餅を搗き鏡餅とする、日本人の古来の食事をほぼほぼ毎日していました。そんな生活が当たり前だったのですが、核家族になるとそんなことをする余裕も必要もなくなるのだと今なら分かります。先日ある方とお話をしたのですが、その方は持論の様に「祖父母と暮らすことは人間形成に役立つ」というようなこと仰っていました。そのお話と照らし合わせ自分の幼いころを回想すると、つくづくその通りなのだろうと感じます。
中学生の朝ご飯はメロンパン、帰ってからも何かむさぼり食べていたのでしょう。気が付けば兄はグレ、私も自己肯定感だけやたらと高い身勝手な思春期女子となっていました。
両親が何も言わないのを良いことに好き勝手な生活をしていたと思います。親も言えないのでしょう、お金もないし、常に働かなきゃいけないし、何が人間の本質なのか考えてこなかったのですから。朧気に分かっていても子供に伝える術と余裕を持てない。祖父の時代とは違う。そしてそれは受け継がれたとは言えない「生きる」ということの意味。それは今思い起こせば、という視点であって、あの当時は全員がむしゃらに最善を尽くし大人は生きていたのでしょう。
それでもものつくりで生きていきたいという想いはなくなりませんでした。こんな私ですが公務員を目指したこともあった、北大農学部を目指したこともあった。夢は多かったみたいです。高校卒業では周りはほとんど大学進学をしていました。私はフリーター決定、目標のない大学生活など興味もなかったし親もそんなお金はないのは解っていましたから。その頃には何となく竹細工がしたいと思っていました。なぜなのか?はっきりとは覚えていないのですが、直感で私に合っていると感じたことは覚えています。
19歳で私は旅に出ました。母に九州の竹島というところに竹細工をしているおばあちゃんがいるとテレビで観たと。インターネットも今ほどない時代にどこをどうしたのか、全く覚えていません。きちんと舞鶴行きと宮崎行のフェーリーを予約し、竹島の民宿も予約してたみたいです。極端な私は竹島に住み着くつもりで出発しましたが、結果はもちろん実りなしで帰るというものです。覚えている無理だと悟った理由は「言葉が通じない」でした。実際現地に行き、帰ってきた理由付けであって、竹島に住み竹細工は真にしたいことではなかったのでしょう。
そろそろ私の話も長く飽きてきたと思います。
札幌に帰った私はあてもなく図書館で工芸の本を読んでいました。そこの「淡交」という雑誌の裏表紙の「伝統工芸を学ぶ、京都伝統工芸専門学校」との宣伝に目がくぎ付けになりました。「なんだ、学校があるんじゃないか」、長い私の進路迷路生活は終わると思うと、安堵が一番強かったのではないでしょうか。
そこから両親に頼み込み、借金をさせてもらい京都へ移り住みました。学校生活は二年、毎日毎日竹を割り続けました。自分で言うのもなんですが、私は誰よりも寝食を忘れて竹細工、学校生活に打ち込んだという自負があります。賞を取るとか、誰かの望むものを作るとか、私にとってそんなことはどうでも良くて、自分が思い描いたものを作る、作りたいものを作るという喜びと苦しを二年間存分に味わいました。卒業後講師をしていた師匠の下に内弟子として入り五年間。そこでの生活は割愛します。その後結婚し竹細工からは離れていた期間がありましたが出産後からどうにも我慢が出来なくなり、ご縁もあったので娘が半年の頃に開業届を出しに行きました。
後は最初に書いた通りです。私の半生など読んでもつまらないものですが、自己紹介といたしました。
レベルに応じた指導
~初心者から上級者まで~
ここからは具体的な教室の内容についてお話いたします。
この竹細工教室の材料は、主に町内外から切り出した青竹と竹材屋さんから買った白竹を使用します。青竹の調達は年2~3回、協力してくれる竹林所有者の元へ採りに行きます。ここでは竹林整備にも重きを置くと先述しましたが、そこでは皆さんと日程調節を行い可能な限り竹林に入っていただきます。参加は任意ですが、身辺で竹藪についてお困りの方や興味をお持ちの方をお誘いあわせの上ご参加下さればと考えています。白竹は、近年藪から伐りだし、油抜きをする人が減っていることから私の手元に毎年必ず来るとは言えない状況です。竹材が不足した場合は教室は一旦閉鎖します。竹材が手に入り次第再開のお知らせをします。
材料づくり、仕上げまで基本はご自身で行ってください。私は二十年の白竹細工の経験を基に指導いたしますが、分からないことがあるのが実情かと考えています。その時は皆で考えたり調べたりと出来るのがたくさん集まる教室としてのメリットと考えています。もちろん答えを知っていることの方が私は多いのでしょうが、先ずはご自身で一度考え、トライしてみる。失敗してもいいのです。大いにしてください。でもおせっかいな私は先に答えを言ってしまうかもしれません。それはそれで、熟成させていきましょう。
竹林整備を通し、地域の治水及び里山環境の保全も目的としています。竹細工教室という点ではなくこの地域、森林、竹林、延いては日本全体の未来や環境、直近の私たちの生活に繋がる三次元とお考えください。共感はご自由です。ただ、この教室に開催にあたり私のその想いがあることはお知りおきください。
開催日時
~具体的な内容~
1開催日時:毎月第二月曜日・第四月曜日 10時~16時(15時)の月二回クラスと第一火曜日・第三火曜日(同時間)の二クラス
2定員:8~10名(希望者多数の場合はを増設を検討)
3入会について:体験会後二ヶ月、四回は体験扱いとし一回の体験料7,000円といたします。三ヶ月目以降に本入会するか決めてください。(*経験者は要相談)
4月謝等支払いについて:月謝は15,000円とします。材料費は青竹が一ころ100円、白竹が一ころ200円、ひと月の月謝に二ころ付。施設管理費込み。籐については個人で使用料が異なりますので使用毎に実費(m分)お支払いください。入会金はありません。
5道具:基本の道具は、鉈(なた)巾引き、小刀(用途に応じて2~3種類)木槌、のこぎり、錐、ハサミ、千枚通し、ろうそく等。鉈と巾引きは体験入会の時点でご購入ください。小刀はホームセンター等で購入お願いいたします。注文代行(義定)、購入補助(まとめて注文、送料は岡負担)いたします。
6欠席連絡・振替について:LINE希望の方はそちらから、メール、電話等で欠席分かり次第ご連絡お願いいたします。振替は検討中ですが、任意の月に一年間の振替日を作り参加してもらうが有力です。
7休会について:個々の事情と要相談
8退会について:前月の最終週までに通告お願いいたします。
9禁止事項:竹材の過剰な持ち帰り、竹材の教室外への譲渡、貸出。教室内物品の持ち出し。
10免責事項について:怪我、事故、個人の道具持ち物、材料の紛失
11個人情報の取扱いについて:お預かりした個人情報はこの教室運営以外には使用いたしません。
12安全管理について:築40年ほどの建物です。階段、踊り場、作業場での出会いがしらの事故に十分お気を付けください。一人一人が「未必の故意」を意識し安全意識を高めて事故を防ぎましょう。
13その他:体験会開催後、鉈は二ヶ月教室内のみの使用とします。三ヶ月目以降持ち帰りは可能ですが、個人の習熟度合いで判断いたします。
※この場所は地域の方の理解の上で成り立っています。顔隠し目的のマスクは防犯上やめてください。この教室の活動で地域の方を不安にさせる行動は私はしたくないと考えています。人間本来の顔を見せ合うコミュニケーションをお願いいたします。マスクの着用は酸素不足を招きます。視界が遮られ、頭がぼんやりして怪我に繋がります。風邪の予防は日々の食事、睡眠、運動習慣を基本としましょう。
竹林に入る
~竹細工を通じて地域の森林、竹林、生態系の循環~
始めは私が採ってきた竹材で皆さまには材料づくりに専念して欲しいと考えています。
先述しましたなるべく参加して欲しいという竹材調達を落ち着いた頃に行います。それと一緒になるかと思いますが、竹藪について詳しく学べるワークショップ形式の講座を定期的に開催いたしますので都度ご案内いたします。奮ってご参加ください。
この世の中はメグルのです。巡り巡り、その行いは誰かのもとへ、自分のもとへ。この竹細工教室を通して世の中のメグリの一部を見て感じていただければ幸いです。
現在、宇治田原町内で放置されている竹藪に入らせてもらい整備を学んでいます。最終目標はその竹藪含め町内、町外の同じような放置竹林を再生することにあります。
もともと今放置されている竹藪のほとんどはどこかから苗木を持ってきたそうです。つまりは苗木を持ってきて育ててそれを利用する環境が周辺にはあったということでしょう。それが急速に失われたのは高度経済成長期かと推察されます。プラスチック品の台頭により、それまで地域で行われてきた米作、畑、お茶栽培の道具としての竹製品が不要になったのだろうとは想像に難くありません。
今この現在において、プラスチック製品を全て竹製品に戻そうとは無理があると私でも分かります。その中で放置竹藪があるのならばそれは地域環境の為に、利用が出来るのならば竹細工に、という風に少しでも自然が巡ればいいのではないかと思うのです。
私も竹藪整備に関しては素人です。山のプロの手も借りながら、メグリメグル活動が出来ればと考えています。
心構え
~必要なこと~
特にありません。しいて言えば、やる気と本気でしょうか。私は正直に告白すると集団で何かを成すこととなると「働かない働きアリ」のような存在です。ごめんなさい、謝っておきます。ただ、個人で何かを成し遂げようとする時はやる気と本気が漲ります。向き合うのは自分自身だからでしょうか。なんとも身勝手な。いえ、それでいいのです。普段の掃除や施設管理は私がします(大掃除は良ければご参加くださいね)。皆さまがここに竹細工をやりに来た時はひたすらに自分のことに向き合ってください。
材料づくりや編み方の理解が主となると思いますが、どうかご自身の努力をもって会得してください。
室井綽さんの「竹の世界part2」から抜粋
「あるタケの研究者から、タケの一生とヒトの一生がよく似ていると、しばしば聞かされたものである。反省せよと、狛犬が「あうん」、その狛犬の指示でもあるかのように、ヒトの一生とタケの一生をここにきて思い返した。」
不思議なもので何事によらず、誰の考えも似たようなものなのです。一緒に竹細工をするという目的で集まったこの場であうんとなれば、それは素晴らしいことではないでしょうか。
関連団体
~メグルモリ~
諸事情がありまして、地域の環境保全を目的としました団体を令和7年1月1日付で立ち上げました。この団体を主として竹林整備や環境保全活動を行いますが、ご入会は任意です。
古民家裏の森林環境、町内の放置竹林の整備、家前の田んぼでの蓮根とこんにゃく栽培。町内の空き田んぼでの米作。
年会費1,000円。
道具一覧(参考)
義定刃物 久御山工場
〒613-0034 京都府久世郡久御山町新開地82-1 TEL:0774-44-0748
竹用鉈 ¥9,350(税込)
巾引き ¥6,050(税込)
線引き刃一式 ¥40,700(税込・受注生産)
刃物研ぎ 小刀¥880~